遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第19回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

中田裕子〔龍谷大学〕
「2018年モンゴル現地調査報告──僕固乙突神道碑に関して──」

 僕固とは、鉄勒諸部の一部族の名称である。貞観二十一年(647)、鉄勒は唐王朝に帰順し、その羈縻支配下に組み込まれた。これまで、当時の状況を記した史料は非常に乏しかったが、近年のモンゴル高原における発掘の成果から新たな事実が明らかになった。2009年にモンゴル・ロシア連合考古チームがモンゴル国トゥブ県ザーマル郡ショローン・ボムバガルにおいて、一基の墳墓の調査・発掘を行ったところ、多数の中国風の傭などともに墓誌が出土したのである。
 墓誌の内容から、墓主は「金微州都督僕固乙突」という人物であり、埋葬年代は儀鳳三年(678)八月であることがわかった。モンゴル高原において都督の墓誌が発見されるのは初めてのことであり、歴史的かつ衝撃的な大発見であったと言える。この墳墓と墓誌の発見によって、これまで不明であった金微州都督の位置が絞り込めると同時に、当時の鉄勒諸部の勢力図の再構築が可能となったのである(石見清裕「羈縻支配期の唐と鉄勒僕固部: 新出「僕固乙突墓誌」から見て」『東方學』第127輯、2014年pp. 1-17)。
 また、「僕固乙突墓誌」には「同時に碑も立てた」という一文があり、この墓誌とは別に、おそらく墓の外には神道碑も立てられたことがうかがえたが、これまでその碑はどこにあるのか不明であった。
 しかし、2018年9月11日、発表者はモンゴル国ボルガン県バヤンノール郡ツォヒーン・ホダグの草原で一つの碑石を調査したところ、それこそが墓誌に記されている碑であることが明らかとなった。この碑文は、もともと1950年代にO. ナムナンドルジが最初に発見し、中国唐王朝の一将軍に捧げられたものであろうと報告していたが、碑文の転写・写真・解読文などは公表されておらず、碑自体もそのまま現地に放置され、忘れ去られていた。発表者は幸いにも昨年9月に現地を訪れる機会を得て、拓本を採った上で内容の解読を行うことができた。
 本報告では、まず2018年度のモンゴル現地調査の報告と「僕固乙突神道碑」の解読結果を紹介し、さらに、モンゴル高原・中国における羈縻支配の様相を検討したい。


 

 

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