遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第16回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

大竹昌巳(京都大学大学院博士課程/日本学術振興会特別研究員)

いわゆる「蕭令公」について —清河門西山遼墓出土墓誌の解読から—

 1949年に現遼寧省阜新市清河門区西山で発見された遼代墓群(遼蕭慎微祖墓群)から、漢文『佐移离畢蕭相公墓誌銘(残石)』(重煕12年(1043)以前刻)と、誤って『蕭令公墓誌銘』と通称される契丹小字墓誌銘残石(清寧3年(1057)刻)の2組の墓誌が出土している。両墓誌は欠損部分が多く情報が断片的で、特に漢文墓誌から得られる情報は少なく、契丹文墓誌の読解もきわめて不十分なことから、信頼のおける研究成果はそれほど多くは得られていない。しかし、現在の契丹語研究の知見を用いて丹念に墓誌文を読み解けば、墓主らの経歴や出自に関して多くの新知見を得ることが可能である。

 本報告では、契丹文墓誌の読解と漢文史料との突き合わせを通して以下の点を明らかにする。

 まず、両墓誌から得られる情報を整理して墓主の経歴を紹介するとともに、漢文墓誌の墓主である「相公」と契丹文墓誌の墓主である「太師」との関係を明らかにする。その上で、契丹語文献から得られる「相公」についての情報を利用することにより、彼を漢文史籍に見える特定の人物に比定することができることを述べる。また、両墓誌に共通して現れる彼らの父祖「令公」は、契丹文墓誌の記述によれば景宗朝で活躍した人物であるが、彼もまた漢文史料に見える重要人物に比定することができることを主張する。これらの作業を通じて先行研究の誤謬を正し、墓主一族のステータスを明らかにすることにより、遼朝史を理解するための新たな資料を提供することが本報告の目的である。


 

 

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