遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第16回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

肖愛民(東北学院大学アジア流域文化研究所客員研究員 河北大学宋史研究中心)

遼朝皇帝的尊号与諡号及相関問題

 

 太祖の尊号は“天皇帝”(天可汗)・“大聖大明天皇帝”といい、諡号は“升天皇帝”、聖宗が“聖元皇帝”という諡を追加し、興宗が加号して“大聖大明神烈天皇帝”と諡した。太宗の尊号は“天皇王”・“嗣聖皇帝”・“睿文神武法天啓運明徳章信至道廣敬昭孝嗣聖皇帝”で、逝去した時に諡は加号されていなかったので、聖宗が追贈して“孝武皇帝”と諡し、興宗が加号して“孝武惠文皇帝”と諡した。世宗の尊号は“天授皇帝”で、“孝和皇帝”と諡した。のちに聖宗が加号して“孝和荘憲皇帝”と諡した。穆宗の尊号は“天順皇帝”といい、逝去した時に諡は加号されていなかったので、興宗が追贈して“孝安敬正皇帝”と諡した。景宗の尊号は“天贊皇帝”で、“孝成皇帝”と諡し、興宗が加号して“孝成康靖皇帝”と諡した。聖宗の尊号は“昭聖皇帝”・“天輔皇帝”・“至德広孝昭聖皇帝”・“至徳広孝昭聖天輔皇帝”・“弘文宣武尊道至徳崇仁広孝聡睿昭聖神賛天輔皇帝”と“睿文英武宗道至徳崇仁広孝功成治定啓元昭聖神賛天輔皇帝”で、“文武大孝宣皇帝”と諡した。興宗の尊号は“文武仁聖昭孝皇帝”・“聡文聖武英略神功睿哲仁孝皇帝”・“欽天奉道祐世興歴武定文成聖神仁孝皇帝”で、“神聖孝章皇帝”と諡した。道宗の尊号は“天祐皇帝”・“聖文神武全功大略神広智聡仁睿孝天祐皇帝”で、“仁聖大孝文皇帝”と諡した。耶律延禧の尊号は“天祚皇帝”・“仁文睿武元徳大和神智聖孝天祚皇帝”であった。

 遼の皇帝の尊号と諡号の特徴として以下の四点を指摘できる。

 一、初期の諸帝は柴冊儀を行って尊号を奉じていたが、景宗以後の諸帝は即位後ただちに尊号を奉じた。柴冊礼はしばらく開催されてはいたものの、尊号を奉じることは行われなくなった。二、諸帝が尊号を奉じる際、そのほとんどが冬季を選んで行われた。三、初期は尊号を重視していたが、後期になると廟号を重視するようになった。四、初期の諸帝の尊号と諡号は混乱しており、中期以降になると制度化していった。五、尊号はすべて“天”の字を付帯していた。尊号を重視するのは契丹人が北方遊牧国家の政治文化の伝統を継承したためである。初期の皇帝の尊号と諡号の混乱は蕃漢の礼法の混乱に起因するものである。尊号に“天”字が付帯されていることの政治的な意味とは、天神を尊崇して畏怖し、君主の権力が神授されたことを表明していることである。


 

 

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system