遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第16回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

工藤寿晴(東北大学大学院修了)

発表題目:モンゴル時代の遼金大族 ―「盧龍趙氏家伝」の考察から―

 唐代の山東門閥にも擬された遼(契丹国)・金時代の漢人大族についての研究は、石刻資料による史料状況の改善に伴い進展してきた。その中で最も成果が上げられてきたのは、韓知古(生没年不詳)を祖とする玉田韓氏であろう。昨今公開された遼代石刻資料の中にも、「人或いは議して曰く、『昌黎氏は數百年間幽・燕の大族爲り』と。」(『北京遼金史迹図志』杜悆墓誌)という韓延徽(882〜952)を祖とする安次韓氏に対する当時の認識をうかがわせる記述が見られるため、今後も石刻資料の発見・公開に伴い新たな知見が得られることが予想される。

 漢人大族の様態解明に石刻資料が貴重な情報源となっている中で、漢人将軍趙思温(881~939)を祖とする盧龍趙氏については、他の家系とは状況が異なっている。族人の墓誌も出土しているものの、王惲(1227~1304)の手に成る「盧龍趙氏家伝」(以下「家伝」と称す)という記録が残されており、そこに記される情報が重要な位置を占めているからである。

  「家伝」が得難い価値を有していることは間違いないが、その関心はほぼ遼・金代に関する事柄に限定されており、当該の文章をめぐる諸問題が俎上に載せられたことはない。モンゴル時代に当該文章が著された背景や当時の盧龍趙氏の様相等に対する視点は、隆盛期を過ぎた漢人大族の行方に対する無関心故にこれまで存在しなかったと言って差し支えないのである。

 こうした研究状況の中にあって、寺地遵氏は玉田韓氏研究発展への提言として長い時間系列の中で追跡・観察する必要性に言及している(寺地遵「遼朝治下の漢人大姓―玉田韓氏の場合―(鴛淵教授蒐集満蒙史関係拓本解題之一)」(『広島大学東洋史研究室報告』10、1988))。この提言は、盧龍趙氏についても有効な提言と言えよう。以上を踏まえ、本報告では「家伝」の考察を通じ、モンゴル時代の盧龍趙氏について検討する。


 

 

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