遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第16回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

出穂雅実(首都大学東京)

上部旧石器時代における現生人類の北東アジア進出と行動的・技術的適応

 

 最近の上部旧石器時代研究は、(1)現生人類の最初の大規模なユーラシア拡散が約5~4万年前に起こること、(2)拡散のルートがインド亜大陸から東南アジアを経てオーストラリアへと向かう南のルート、および中央アジアから西のヨーロッパと東のシベリアへと向かう北のルートがあることを、地域毎の詳細な検討と地域間での成果の比較・統合を繰り返すことで明確にしてきた。この“ビッグピクチャー”から見えてきた最も重要な点は、現生人類のユーラシア初期拡散が非常に広範におよぶこと、一方で拡散地域の環境や生態系が熱帯雨林から寒帯マンモス・ステップまで大きく異なるにもかかわらず、技術的・行動的・文化的に、言わば速やかに適応したと評価できることである。

 北東アジアにおける先史狩猟採集民の初期拡散はユーラシア大陸の他の地域と大きな時間的間隙はなく、遅くとも約4.5万年前に認められる。この考古学的証拠は初期上部旧石器時代(IUP)石器群と呼ばれ、発達した石刃技法を道具製作の基盤とし、中東、東ヨーロッパ、中央アジア、シベリア、中国北半およびモンゴルといった広大な地域において発見されている。IUP石器群は、マンモス・ステップのような寒冷地域の草原生態系に始めて広く適応することが出来た狩猟採集民の社会と想定される。

 北東アジアにおける上部旧石器時代(約4.5~1.2万年前)の社会とその分布は、気候変動とそれに伴う生態系変化と関連して幾度も大きく変化した。とりわけ約2万年前の最終氷期最盛期(LGM)にはシベリアが極限の寒冷・乾燥環境となり、狩猟採集民の居住そのものがほとんど確認されなくなる。

 このようなコンテクストを踏まえながら、本発表では次の研究疑問の説明に取り組んでみたい。(1)狩猟採集民はLGMの北東アジアを放棄したのだろうか?(2)彼らの生態学的レフュージア(避難地)はどこにあったのだろうか?(3)細石刃技術はLGMの極寒環境への適応手段として生みだされたのだろうか?

 


 

 

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