遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第17回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

浜中沙椰(早稲田大学大学院・教育学研究科博士課程1年)

 西夏文白傘蓋陀羅尼の刊行事業とモンゴル王コデン 近年、史金波氏により新出史料として西夏文白傘蓋陀羅尼断片及び発願文2点が紹介された。報告者は、この西夏文白傘蓋陀羅尼に対し、以下2つの理由で注目する。1点目は、この陀羅尼の発願文にはチベット仏教のモンゴル流伝に道筋をつけたことで名高い、オゴテイ・ハーンの次子コデン(闊端/Köden)の名が記されている点、2点目は白傘蓋陀羅尼という経典は、大元帝国のフビライ・ハーンがチベット僧パクパの勧めにより行った王権儀礼のうち、王朝随一の祭典となった白傘蓋仏事の典拠であるという点である。 特に1点目は、西夏の崩壊後1235年に涼州 (西涼府)に駐屯したコデンは、四川遠征やチベットへの軍事侵攻を進める傍ら、1244年にチベット仏教の一派であるサキャ派のサキャパンディタ・クンガーギェルツェン(Sa skya paNDita kun dga’ rgyal mtshan, 1182-1251)を涼州に招聘し、1247年に面会を果たした。この会見がモンゴル人権力者とチベット仏教の最初の接触と見なされている。

 しかし、コデンの名が刻まれる西夏文白傘蓋陀羅尼が刊行されたのは、両者が面会する4年近く前である。チベット語文献によれば、コデンはサキャパンディタによって仏教徒へと改宗したことが知られるが、この発願文によるとコデンは既に旧西夏領の仏教に影響を受けていたことが分かる。従って、この白傘蓋陀羅尼および発願文は、旧西夏領の仏教が元代におけるチベット仏教の流伝に一定の影響力を持ち得ていた可能性を示すものである。 

 以上を踏まえ、本報告では西夏文白傘蓋陀羅尼刊刻の背景、及び大元帝国内に流伝したチベット仏教との関連性について検討する。


 

 

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