遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第17回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

町田吉隆(神戸市立工業高等専門学校)


中国内蒙古自治区東部の方形城郭都市遺跡踏査報告-11世紀の遼中京址と13世紀の元応昌路城址を中心に-

  ユーラシア東部の農業-遊牧境域線に位置する現在の中国内蒙古自治区東部、遼寧省、河北省北部には10-14世紀に多くの方形城郭都市が造営された。それ らの都市遺跡(城址)の中には城牆(城壁)が地表上に残存している例がある。たとえば契丹国(遼朝)時代の遺跡としては赤峰市の巴林左旗の遼上京址、祖州 城址、巴林右旗の慶州城址や寧城県の遼中京址などがある。またモンゴル帝国(元朝)時代の遺跡としては錫林郭勒盟正藍旗の元上都址、河北省張北県の元中都 址、内蒙古自治区烏蘭察布市の集寧路城址、赤峰市克什克騰旗の応昌路城址などの都市遺跡を現地で見学することができる。
 本報告では発表者が 2016年 夏に訪問した契丹国(遼朝)時代の遼中京址とモンゴル帝国(元朝)時代の応昌路城址を取り上げる。両者には以下の共通点がある。①方形城郭都市が造営され た年代と廃城となった年代が文献史料からおおよそ判明すること。②遺跡全体にわたる本格的な発掘調査は行われていないものの、遺跡の規模や形状がわかる平 面図が作成、公開されていること。③空中写真(人工衛星画像)により都市の外周にめぐらされた当時の城牆(城壁)が都市遺跡全体で確認できること。
  都城など方形城郭都市に関する研究において平面プランの復原が重要なことは多言を要しない。一方、それらの方形城郭都市を造営した人々、居住者、他地域か らの訪問者はその都市ごとの立体的な景観や機能にも個々の都市の性格を読み取っていたのではないか。また気候や地文など自然環境に依存し、継承された都市 の造営方法とその都市遺跡が有していた政治的、経済的役割や時代により変遷する造営方法の相違について考察する。


 

 

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