遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第19回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

等々力政彦〔京都大学〕

「唐努烏梁海四旗之印」の発見」

 ロシア連邦トゥバ共和国クズル市アルダン・マードル博物館において、清代の「唐努烏梁海四旗之印」を発見したので報告する。当該地域周辺は、20世紀にロシアと中国、およびモンゴルとの間で帰属が揺れた歴史をもつ境界領域である。17世紀から18世紀にかけて、清朝は北西方面へ大きく版図をのばし、次々とモンゴル首長を臣下に組み込みながら、彼らに勅印を授けていった。このような流れのなか、現ロシア連邦トゥバ共和国周辺域も、18世紀をまたぐあたりから清との関係が強まっていった。18世紀中頃には、オリアスタイ定辺左副将軍 の直轄領となり、外蒙古の一地域である唐努烏梁海(タンヌ・オリアンハイ)部 として再編成され、清の版図下となった。そして、乾隆27年(1762年)、「唐努烏梁海四旗之印」が授与された。したがってこの印は、清朝に帰属していたことを物質的に表象する、重要な資料であるといえる。 
 管見によれば、この印はこれまで独立に研究されたことはなく、「謎の印章」であったといってよいであろう。確実な所在も不明で、またその印が押された公文書の公開もなかった。
 トゥバ共和国クズル市のアルダン・マードゥル記念トゥバ共和国博物館には、あきらかに人為的に破損された、来歴不明な印章が収蔵されている。一方で、これまでロシア連邦トゥバ共和国とモンゴル国の公文書館に眠っていた清朝時代からソビエト期に至るまでのタンヌ・オリアンハイの公文書が、近年刊行されはじめた(Chuluun & Bicheldei 2011–2014) 。上記の両資料を比較検討したところ、この印章が、長い間不明であった唐努烏梁海四旗之印であることを明らにしたので、詳細を報告する。


 

 

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