遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第21回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

「『遼史』歳時雑儀の成立過程」

大竹昌巳

 元修『遼史』巻53「礼志六・嘉儀下」には「歳時雑儀」と題して契丹の年中行事について記した一節がある。南宋で刊行された『契丹国志』巻27「歳時雑記」にもこれとほぼ同内容の記載があり、『遼史』歳時雑儀は『契丹国志』歳時雑記を資料源として成立したと考えられるが、これら両記事は遼代契丹人の習俗や言語を窺い知ることのできる史料と看做され、利用されてきた。

 ところで、遼に仕えたのち宋に亡命した武珪が著わした『燕北雑記』(『燕北雑録』とも)は、現在では曽慥『類説』や陳元靚『歳時広記』等にいくつかの条文を残すのみとなって散佚してしまっているが、それら『燕北雑記』佚文と『契丹国志』歳時雑記とには条文が一致するものがあるため、『契丹国志』歳時雑記や『遼史』歳時雑儀の記事は終局的には『燕北雑記』に淵源すると考えられている。

 ところが、歳時雑記や歳時雑儀には、現存する『燕北雑記』佚文では確認できない条目も含まれており、実のところそれらは『燕北雑記』に由来するものでもなければ、契丹の習俗を記したものですらない。果たして、どのような経緯で『契丹国志』歳時雑記や『遼史』歳時雑儀は遼代以外の歳時記事を混入させるに至ったのか。本報告では、『燕北雑記』から『遼史』歳時雑儀に至るまでの流伝経路を明らかにすることで、この問いに解を与える。また、『遼史』歳時雑儀は『契丹国志』歳時雑記にはない独自の改変(音訳字の改変を含む)を加えているが、この改変はどのような意味をもつのか。この問いの検討も併せて、『遼史』や『契丹国志』の編纂態度や史料価値について見解を述べる。


 

 

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system