遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第21回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

「遼金塔の荘厳について-海城金塔の建立年代の再検討を中心に-」

水野さや 

 海城金塔(八角十三層密檐式塼塔)は遼寧省海城市析木鎮西北の山腹に位置し、その麓にはかつて金塔大禅林寺(金塔寺)と号する寺院があったとされる。同市内の銀塔・鉄塔とともに、鳥居龍蔵による明治28年の満蒙探査において報告された本塔は、次いで伊東忠太、関野貞、竹島卓一、村田治郎などによっても言及されてきたが、基壇の一辺が約4メートルにおよぶその規模や、第一層塔身および上層基壇の浮彫像に認められる量感溢れた表現などから、遼・金の密檐式塼塔のうちの秀逸なる一塔であり、建立年代も比較的早い時期に位置付けられてきた。

 本塔のように第一層塔身各面に一龕を設けて仏坐像を表し、その左右に菩薩立像、上部に飛天を配する構成は、中京大塔(内蒙古自治区赤峰市寧城県)をはじめ、遼塔・金塔に多く認められる。上層基壇各面中央に獅子一軀を表す点は、嘉福寺塔(広勝寺塔、遼寧省義県)、中京小塔(内蒙古自治区赤峰市寧城県)など比較的限られた特徴であるが、経幢の幢座に表す例は唐代から認められ、金代以降の僧塔においても顕著となる。また、海城金塔には二叉の斜栱により補間鋪作(柱間に置かれる斗栱)が構成されているが、斜栱を伴う補間鋪作は、応県木塔(仏宮寺釈迦塔、山西省朔州市)以降、遼・金・北宋の木造仏教建築において登場し、その用例が顕著となるのは金代とされる。

 本報告においては、まず、遼塔・金塔第一層塔身の荘厳モティーフについてその概要をまとめた上で、海城金塔の特徴およびその建立年代に関する考察を試みる。


 

 

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system