遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第14回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

熊本崇(東北大学)
    宋金両朝官制比較

 青木敦「監司と臺諫 ——宋の地方監察制度に見られる二つの型」(『東方学』114、2007)「おわりに」には次のようにいう。

(1)省の長官たる督撫が御史職を兼ね、地方官の監察の権限も圧倒的に強かった後代の状況と比較したとき、〈中略〉「省」に相当する宋代の「路」の機関の監察権限が、まだ確立していなかったことを示している。
(2)かつ県の相對的地位が低下するなど「行政の地方化」が見られたことに関しては、すでにロバート・ハートウェル氏が指摘した通りである。つまり官制史として見るならば、州県とくに県が根強い力を持っていた唐代以前の王朝制度と、長官が御史職を兼ね、強い力を持つに至った省の成立の間に、過渡的に宋代の監司帥臣という長官群があったと言えるかもしれない。
(3)しかし唐、五代、宋、金、元、明といった諸王朝を一直線に並べ、官制が一本の道を通るように発達していったと理解するのは、妥当ではない。〈中略〉また元、明の制度にはむしろ金制の影響も考慮しなくてはならない。

 (3)では元、明の制度に及ぼされた金制の影響が重視されてはいるが、(1)(2)からすれば元、明に至るまでの、宋制の「過渡期的」役割も、全く否定されたわけではない。

 青木氏は宋代の「路」が明以後の「省」の前身とみなしている如くである。その「監察権限」を云々する以上、この「路」は転運司等監司の「路」にほかなるまい。

 ただ『元史』巻58、地理志1には「唐以前以郡領縣而已、元則有路・府・州・縣四等、大率以路領州・領縣云々」といい、『金史』巻24、地理上には「襲遼制、建五京、置十四總管府、是爲十九路、其間散府九、節鎮三十六、〈中略〉縣六百三十二、云々」とある。

 元における州県の上級単位の路は、金における某京路、某々(総管)路に淵源するであろう。明・清の「省」の前身は元「行中書省」であり、金にはすでに行尚書省がある。

 明制「省」における宋制監司「路」の「過渡期的」役割は認め難い。宋制の後代への継承には再検討の余地がある。


 
 
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