遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第15回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

山根 直生 (福岡大学)
  五代洛陽の張全義勢力について
     ——『沙陀系王朝』論への応答として——

 五代後唐以降の四王朝、さらには北宋を加えて「沙陀系王朝」と呼ぶ展望が提示されている。漢人の支配者を擁し漢人のプロト・ナショナリズムを形成したと見なされ、「宋型文化」との類型化もなされた宋朝・宋代に対する劇的な史観の転換であるにも関わらず、宋代史研究の側からの反応は概して鈍い。本論においては表題の一勢力をとりあげることで、この展望への応答を試みる。

 そもそも後唐から後漢までについて沙陀族を中心とする勢力と見ることなら、何ら新奇なものではない。実際、「沙陀系王朝」論の画期性は沙陀族そのものについてというよりも、一部が沙陀族と合流していたソグド系勢力についての研究の進展に基づくものであり、そうした存在が北宋の宗室や国境周辺の戦力にも連続していたことの実証こそが、特に重要かつ象徴的な成果であると言えよう。

 しかし、こうしたソグド研究の進歩を支えた諸条件、とりわけ中国経済の発展下で出土した墓や墓誌銘などの新資史料は、ソグド系勢力に限ってのものであったわけではない。そして、同時代の他の勢力についても同様の考察を行おうとするなら、「沙陀系王朝」にも数えられていない後梁から連続した勢力に注目することが捷径であり、彼らと沙陀・ソグド系勢力を並び置いて考察してこそ、唐宋間の歴史過程に関する充実した理解が得られよう。唐末以降、荒廃した洛陽の復興につとめ、朱全忠の兵站を支え続けたと言われる張全義勢力について、墓誌史料と都市史の成果から再構成し、同時代におけるその位置づけを考察する。


 
 
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