遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第18回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

林 美希 (中央大学)

唐代神策軍の展開とその性格の変容

 神策軍とは、もとは玄宗期に臨洮(甘粛省臨潭県南西)の西に置かれた地方軍で、安史の乱によってその一部が陝州に駐留し、宦官・魚朝恩の配下に入った。吐蕃の長安侵攻から逃れて陝州に蒙塵した代宗を救援したことから、皇帝近衛兵である北衙禁軍に組み入れられ、その主力となった。さらに徳宗期に起こった朱泚の乱を機に体制の充実が図られ、その後、総帥として神策護軍中尉が置かれ、宦官が任じられて以降は、宦官に掌握されたとされている。また、北衙神策軍は、唐前半期の北衙とは根本的に異なる特徴を持っており、それは具体的には、①宦官の指揮下にある、②外鎮を有する、③行政機構の側面を有する、という三点に集約される。

 唐後半期の北衙の中心である神策軍のありかたは、従来、以上のようにとらえられてきた。けれども、神策軍については、実は、一歩踏み込んでみるとよく分からない点が多い。たとえば、①はこれまでも、禁軍の軍事力を背景とする宦官の勢力伸長、という宦官研究の視点から言及されてきたが、神策軍自体の体制の発展や宮廷内の政治運営との関連については必ずしも明らかではない。②の外鎮とは、『資治通鑑』等々に確認される、神策軍の統括下に入った地方軍をいうが、どのような組織なのか、本隊といかなる関係性を持つのか等々の問題が残されたままである。③は「南司」に対する「北司」の問題である。北司とは宦官の行政機構でしばしば神策軍と同一視されるが、その実態の分析にまでは考察が及ばないまま、現在に至っている。

 神策軍についての研究は、個別報告が蓄積されるのみで、体系化がなされているとは言いがたい。したがってまずは、在来史料のみならず、石刻史料からの分析をも含めて、神策軍のありかたをあらためて検討してみる必要があろう。本報告では、神策軍という軍事組織のなりたちを再検討したうえで、上記三つの神策軍固有の要素が、唐後半期の中央政府の統治体制にとって、いかなる役割を果たしたのかを整理してみたい。


 
 
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