遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第18回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

牛根 靖裕 (立命館大学)

漳県汪氏文化研究会編纂資料簡介

——14世紀の鞏昌汪氏と甘粛省定西市南部地域の現況——

 中国甘粛省定西市南部の隴西県一帯の渭水上流域は、12世紀には鞏州、13世紀の金朝末期から20世紀初頭までは鞏昌府が置かれていた。モンゴル時代にはオゴデイ家のコデン太子の権威のもと、モンゴル・金・西夏・南宋の抗争の中で有力になった現地のオングート出身の汪世顕一族を中心とした鞏昌等処二十四城便宜都総帥府が、現在の中華人民共和国の甘粛省の黄河以東の地を管轄していた。汪世顕の子孫は、鞏昌便宜都総帥府の都総帥と鞏昌府の府尹を兼任して世襲することを許されて、元一代を通じて鞏昌の地を治め、明代にも在地の名族として強い影響力をもっていた様子が地方志に記されている。

 隴西県の南西約 25km にある漳県は、汪世顕の出身地であり、県の中心から東南に約 2.5km の徐家坪には1243年に汪世顕の墓所を設けて以来1616年までの14代200人余り葬られた大規模な墓地が今も残っている。漳県では三岔鎮などに今も多くの汪姓の人々が暮らし、また明代に編纂された『汪氏族譜』(漳県図書館所蔵)もあることから、汪氏に関係する文物・歴史を地元文化の一つとして県共産党委員主導の下で研究する組織が作られた。それが漳県と附近の文化教育事業関係者から成る漳県汪氏文化研究会で、その成果が漳県文史資料として2006年以降『漳県汪氏文化研究 資料匯編』(3冊)、『漳県金石録』等が刊行されている。中国国内の汪氏に関する論考、汪氏家族墓から出土した墓誌等の石刻資料や文物、民間伝承について多くの情報が掲載されている。

 本報告では、漳県汪氏文化研究会が編纂した上記資料や、墓誌等に見える『元史』ではほほ記されていない14世紀の鞏昌府や汪氏についての新たな知見と、報告者が2017年7月に現地を訪問した時の様子を紹介したい。


 
 
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