遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第18回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

久保田 和男 (長野工業高等専門学校)

大元ウルスの都城空間と王権儀礼をめぐって

——遼金都城と大都の比較史的研究——

 遼金元の各王朝は「征服王朝」という性格から都城を建設している。そこで南郊などの郊祀がどのように行われたのかは、中国都城のスタイルを本質的に受け入れたのかを考える試金石となろう。なお、遼金元の都城は唐宋変革後の都城であり、開封からの影響を受けている面があり千歩廊が設置されている。

 大都については、『周礼』考工記からの影響について強調する研究が多かったようである。しかし、南北中軸線街路や千歩廊という都城空間構造が大都でも用いられているのである。特に千歩廊は大規模な祝祭となった南郊祭祀や「与民同楽」ともいわれる北宋の政治文化を反映したものであった。そこに開封と大都の都城空間を比較して考える新しい可能性があると考えるのである。

 筆者は近年、遼金の都城について北宋開封からの影響を考えることによって都城空間の構造への影響を考えてきた。本稿ではその成果を受けて、まず郊祀との関わりによって遼から金を経て、元に至るまでの一連の都城史として捉える視点を提示する。その方法として以下のような論点を用いてみたい。

 宋の都城開封・臨安は契丹・金・元により陥落・占領されている。その際、人的な資源をはじめとして書籍・文物、礼制に関する物資が征服者によって北方に持ち去られている。これらの文化財をどのように征服王朝が利用したのであろうか。この問題については美術史の世界などでも注目されている重要な問題であるが、本稿は都城史の観点からこの問題を比較検討する。そのうえで、元の上都・大都における多彩な王権儀礼の中に占める郊祀の位置を考え、大元ウルスの都城空間の王権論的な意義を考える。


 
 
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