遼金西夏史研究会 - Society for Liao, Jin and Xi-xia Studies

 

第22回 遼金西夏史研究会大会 報告要旨

「擁重兵」と「無兵」の矛盾―南宋紹興六年前後の兵力の状況―(要旨)

 

鄒笛(早稲田大学)

紹興六年(1136年)は、軍隊の兵力数から見ると、南宋軍の全盛期であった。また、北伐の準備を着々と進めていった点からも、南宋の対外政策が最も積極的な時期であったと言える。しかし、江西安撫制置大使兼知洪州に任命され、この年の春に着任した李綱は、朝廷への報告や、知人への手紙の中で、軍の全盛期で積極的な対外政策に乗り出す時期にそぐわない「無兵」の状況を語っている。

本報告は、紹興六年四月から七月まで、李綱が江西安撫制置大使として在任中に出した劄子と手紙を手掛かりに、前線の後方である江西の兵力状況について分析する。

紹興六、七年当時、川陝駐屯軍を除いても二十万人に達した南宋軍隊は、その九割以上が劉光世・張俊・韓世中・岳飛の四大将の麾下に配属され、南宋全体では大軍を擁するという状態であるにもかかわらず、前線と行在以外の地方では、寇賊弾圧や防秋などの日常的な軍事需要に運用できる兵力がない、という問題に直面していた。このような状況、及びその解決策に関する李綱の議論は、南宋初期のいわゆる文武対立は、士大夫官僚の「祖宗の法」に基づく固有の認識によるものだったという見解に、新たな解釈の可能性と見方を示唆している。


 

 

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